2026年05月07日
NEWS & TOPICS
美しさの先へ ―雲海トレッキングと野生動物と向き合う占冠村の取り組み
北海道のほぼ中央部、日高山脈と大雪山系を望む勇払郡占冠村。星野リゾート トマムの雲海テラスには、神秘的な雲海の風景を求めて国内外から人々が集まる。しかし、その美しさの背後には、人と自然がともに生きるための地道な取り組みがある。雲海テラスでの特別な体験、初心者でも楽しめるトレッキング、循環型農業プロジェクト、そして野生動物と向き合う占冠村と星野リゾート トマムの連携。自然の恩恵や美しさの先にある「持続可能な観光」の現場を訪ねた。
まだ薄暗く、吐く息が白くなる早朝。トマム山山頂に近い標高1088mに位置する雲海テラスへ向かうため、ゴンドラに乗り込む。片道約13分の空中散歩の途中、白樺の立ち並ぶ斜面でシカの親子が軽やかに跳ねる姿が目に入った。ここでは、野生動物の存在が特別なものではなく、日常の風景の一部であることに気づかされる。
空中にせり出す雲海テラスの展望デッキに到着すると、眼下には日高山脈に囲まれたトマムの盆地に、白い絨毯のような雲海が広がっていた。朝日に照らされ、刻一刻と表情を変える雲海は、幻想的でありながら、どこか力強さも感じさせる。

雲海テラスから眺める日の出
雲海のシーズンは例年5月中旬から10月中旬。日の出前後の限られた時間帯に姿を現す。期間中に見られる確率は約4割だという。最も多く見られるのは、放射冷却によって盆地地形に発生する「トマム産雲海」だが、条件が整えば、太平洋で発生した雲がダイナミックに流れ込む「太平洋産雲海」が現れることもある。
雲海テラス周辺には、山道に沿って7つの個性的な展望デッキが点在する。雲の上を歩くような浮遊感を味わえるデッキや、スリル満点の雲形の巨大ハンモック、バーカウンターを思わせる椅子型の展望スペースなど、異なる視点で景色を楽しめる工夫が詰まっている。来訪者が自然と分散され、静かに風景と向き合える設計も大きな魅力だ。

雲をモチーフにした「Cloud Walk」

雲形の巨大ハンモック「Cloud Pool」
初心者でも楽しめるトマム山トレッキング
雲海をさらに特別な場所から眺めたいなら、トマム山山頂へのトレッキングにも挑戦したい。
登山口から山頂までは片道約20分。ジグザグに整備された登山道を進むため、初心者でも無理なく歩くことができる。途中にはやや狭い斜面や滑りやすい岩場もあるため、履き慣れた靴で臨みたい。
標高1239mの山頂に立つと、周囲は一転して静寂に包まれる。風の音と鳥の声だけが響き、遠くには富良野岳や十勝岳、夕張岳などの山並みが連なる。雲海テラスとは異なる角度に雲海を望めるのも、山頂ならではの体験だ。運が良ければ、360度ぐるりと雲海に囲まれる奇跡のような絶景が見られることもあるという。

トマム山山頂
トレッキングの前後には、雲海テラスの屋内カフェ「雲Cafe」でひと息つくのもいい。朝5時から営業しており、寒さを避けながら日の出や雲海を待つことができる。トマム牛乳100%を使用したクラムチャウダーや雲ケーキは、心身をやさしく包んでくれる。
星野リゾートが取り組む循環型農業プロジェクト
星野リゾート トマムでは、農産物の生産から景観、食体験までを一体で捉える循環型農業プロジェクト「ファーム星野」を展開している。自然に近い環境で乳牛を育て、その風景そのものを地域の魅力として来訪者に伝える試みだ。
牛の排泄物やレストランから出る生ごみは堆肥化され、牧草地へ還元される。生乳はトマム牛乳やチーズなどに加工され、リゾート内のレストランやショップで提供される。資源が循環していく様子を、滞在の中で実感できるのが特徴だ。

星野リゾート「森のレストラン ニニヌプリ」
代表的な取り組みの一つが、「森のレストラン ニニヌプリ」のブッフェ。ファーム星野で生産されたモッツァレラチーズをふんだんに使ったピッツァを目の前の窯で焼き上げ、新鮮なトマム牛乳100%のソフトクリームも提供される。木のぬくもりあふれる空間と、窓の外に広がる美しい森の景観が、食体験に奥行きを与えてくれる。
行政と連携して進める野生動物への理解
星野リゾート トマムが位置する占冠村は、村域の約95%が森林に分類される地域だ。シカやヒグマは特別な存在ではなく、日常的に気配を感じる「隣人」である。占冠村では、野生動物対策を担う専門員が役場に配置されている。
野生鳥獣専門員の浦田剛さんは、「狩猟を単なる駆除ではなく資源として一元管理し、狩猟行為そのものも地域の価値に変えていく。その制度づくりに地域おこし協力隊として関わったことが始まりです」と語る。

インタビューに応じる浦田さん
ハンターでもある浦田さんは、シカやヒグマ、アライグマの生息調査、被害確認、住民への助言、必要に応じた捕獲対応まで幅広く担う。占冠村では、捕獲したシカは原則として村の食肉処理場へ運び、個体情報を必ず記録する。可能なものは食肉として活用し、そうでない場合もデータとして残す。「人が介入した結果を、次の判断材料につなげるため」だ。
また、住民向けの勉強会「ヒグマミーティング」を開催し、調査結果や注意点を共有している。日頃から危険箇所を洗い出し、小さな改善を積み重ねることで、万一の際にも具体的な対応が可能になる。「安全とは、結果ではなくプロセスとして育てていくもの」と浦田さんは話す。
子どもたちへの教育では、事故防止にとどまらず、将来地域の安全を担うための素養、さらに村を出た後も生きる学びを提供する。時には教材としてクマの糞を持ち込み、子どもたちが自ら感じ、考えるきっかけをつくる。正解を教えるよりも、その実感こそが深く記憶に残るのだろう。
星野リゾートとの連携 ― 組織としての安全づくり
占冠村にとって、観光拠点となる星野リゾート トマムの存在は大きい。これまで野生動物への対応は個人同士の連携に頼る部分もあったが、近年、星野リゾート側から「組織として体制を整えたい」という動きが生まれた。
スキー場パトロールや雲海テラスを担当する川内野隼人さんは、「ゲストが安心して滞在でき、現場で働くスタッフの不安も減らしたい」と語る。現在はチームを組み、浦田さんの助言を得ながら対策を進めている。

対談する川内野さん
草刈りや通路幅の確保、危険箇所の抽出に加え、見通しの悪い場所を改善し、「管理されたエリア」と「自然のエリア」を区分することで安全な導線を可視化する。鈴の設置や照明の増設も計画中だ。自然を過剰に管理することなく、現実的にリスクを下げる工夫が重ねられている。
浦田さんは、「共存・共生」という言葉を安易に使わないという。概念で括るのではなく、具体的な事例や実態を伝える。それぞれの立場で考える余地を残すためだ。
雲海の感動や循環型農業の実践と同じく、占冠村では美しい自然を消耗しない関わり方が現場で模索され続けている。美しさや恩恵の裏側にある摩擦から目を背けず、観光と地域が同じ現実を共有する。その積み重ねこそが、この地のサステナブルな価値なのだろう。

浦田さんと川内野さん
《聞き手・記事制作》時事通信社 札幌支社
- Home
- NEWS & TOPICS
- 美しさの先へ ―雲海トレッキングと野生動物と向き合う占冠村の取り組み