五稜郭だけじゃない!四稜郭もあれば三稜郭や七稜郭もあった?!
国指定特別史跡「五稜郭」は、全国的にその存在が知られる函館随一の観光スポットです。
函館市内には他に「四稜郭」と呼ばれるところがあり、穴場の観光スポットとして紹介されます。
「五」や「四」の星形城郭があるのであれば、「三」や「六」はないのでしょうか?道南の資料を調べていくと、函館近郊には、「六稜郭」はないものの、「三稜郭」「七稜郭」はあったようなのです。
三稜郭は三角?七稜郭に至っては想像すらできません。そこはいったいどんなところなのでしょうか?
五稜郭と四稜郭
その前に、五稜郭はどんなところだったのか簡単に紹介すると、江戸時代末期に幕府が建造した洋式城郭(土塁)です。上空から見ると星形に5つの突き出した部分があることから、五稜郭と呼ばれるようになりました。
四稜郭は上空から見ると4つの角があり、羽を広げた蝶のように見えます。郭内面積は約2,300平方メートルで、12万平方メートルある五稜郭の50分の1程度と小さいサイズ。土塁の周囲を空堀が囲んでいた程度でした。新政府軍と旧幕府軍との最後の戦争である箱館戦争の舞台になったという点では、五稜郭と同じです。(北斗市の戸切地陣屋跡も四稜郭のひとつです。)
謎に包まれた三稜郭
三稜郭については、その存在自体がまだ謎に包まれています。資料は少ないものの、とある文献に、三稜郭と思われるものが描かれている古文書がある、と紹介している程度です。2000年代に入ると、地元の高校生が研究を行い、函館北部にある比遅里神社を三稜郭の最有力候補としました。
実際にその場所を訪れてみると、大きい敷地ではないものの、函館山方面の角が鋭く、確かに三角形の形をした台地になっています。
七飯町の山奥にある七稜郭
では、七稜郭はどこにあるのでしょうか? ここまで五稜郭、四稜郭、三稜郭は函館市内にありましたが、七稜郭はそのさらに北に位置する七飯町の山奥にありました。正式には「峠下台場」と呼ばれるとりで跡で、フランスの軍人ブリュネが指揮して旧幕府軍が築いたとされています。
この台場跡は昭和48年に元七飯町歴史館館長が再発見し、その存在が確認されるようになりました。標高は函館山とほぼ同じ349m。七稜郭と呼ぶことがあるように、この台場跡には突き出した角が七か所あります。樹林に覆われていることもあってその全体像を撮影することは困難なのですが、東西約20m、南北約12mほどの土塁がはっきり確認できます。
このように、道南には箱館戦争にちなむ星形城郭が幾つか確認されています。七稜郭以外はアクセスも簡単ですので、星形城郭巡りをしてみるのも面白いのではないでしょうか。
参考文献:『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(西ケ谷恭弘)/七飯町史/ななえ探検隊!
取材協力:七飯町/七飯町歴史館