大人の好奇心を満たす旅へ~吉田類の北海道紀行/三笠・美唄編
炭鉱(ヤマ)から動き出した空知の近代
最盛期には国内最大の採炭地として、明治以降の日本の近代化を支えた空知の炭鉱。『炭鉄港』の原点ともいえる、三笠市と美唄市の遺構を訪ねた。
Profile
酒場詩人
吉田類(よしだ るい)さん
イラストレーター、エッセイスト、俳人。酒場文化や旅をテーマに執筆活動を続けている。BS-TBSの人気番組『吉田類の酒場放浪記』、全国の低山の魅力を伝える『吉田類のにっぽん百低山』(NHK)などのレギュラー番組の他、NHKラジオ深夜便『ないとガイド~酒のある風景』にも出演。
北海道を愛し、長期滞在する傍ら、HBCテレビ『吉田類 北海道ぶらり街めぐり』で道内各地を旅している姿はHOKKAIDO LOVE!に満ちています。
三笠ジオパーク
北海道における近代炭鉱の歴史は、ここ三笠に始まる。この地で石炭が発見されたのは、明治元年(1868)のこと。その後、御雇い外国人の鉱山地質技師ライマンの調査で同地域の石炭の有望性が示され、明治12年(1879)、北海道初の近代炭鉱となる「幌内炭鉱」が開鉱する。
これを機に周辺でも次々と炭鉱が開発され、瞬く間に国内屈指の産炭地へと発展。炭鉱が閉山した現在でも、炭鉱施設はまちの変遷を物語る観光資源として、大切な役割を果たしている。
『三笠ジオパーク』は、幌内鉄道をメインとした「幌内エリア」や空知集治監の歴史をたどる「三笠エリア」など、テーマ別にエリアが分かれている。類さんは1億年の大地の変動と炭鉱の歴史を感じられる1・2㎞のコース「野外博物館エリア」を巡ることに。
レンガ積みの錦坑坑口は、立坑櫓の縦穴から横に延びる坑道の出口。トロッコに積まれた石炭が、ここから次々と運び出されていた。
やや急な坂道を上ると、現存する道内最古の立坑櫓「幾春別炭鉱錦立坑櫓」が見えてきた。鉄骨は真っ赤にサビているが頑丈な造りで、古代遺跡のような風格が漂う。櫓の高さは約10m、地下は約215mの深さ。「間近で見ると迫力があるね」と類さんも驚きを隠せない。
大正9年(1920)完成の「幾春別炭鉱錦立坑櫓」。九州の八幡製鉄所の鉄骨が使われている。
TEL.01267-2-3997(三笠ジオパーク推進協議会事務局)
炭鉱メモリアル森林公園
大正から昭和にかけて、全国でも有数の「石炭のまち」として興隆を誇った美唄。昭和初期には年間100万t超の良質な石炭を産出した三菱美唄炭鉱跡地を整備し、一般公開しているのが『炭鉱メモリアル森林公園』だ。堅坑櫓と原炭ポケットは平成19年(2007)に近代化産業遺産に認定されている。
大自然の中に立つ2基の赤いタワーは「竪坑巻揚櫓(たてこうまきあげやぐら)」と呼ばれる炭都・美唄を象徴する炭鉱遺産。深さ170m余りの堅坑に人員や資材を送り込む傍ら、地下からは石炭やズリを搬出するエレベーターのような役割を果たしたという。
「近づくと意外と大きくて圧倒されるね。でも、鉄骨の塊と周囲の自然がなぜか調和して見えてくるのが不思議なところ」と類さん。しばらくその威容を仰ぎ見ていた。
『竪坑巻揚櫓』の高さは約20m。奥の櫓は入気も担った上風坑、手前は排気を行う下風坑。右奥の建物が開閉所だ。
美唄市東美唄町一ノ沢
TEL.0126-63-0138(美唄市都市整備部都市整備課)
JR「美唄」駅より車で20分
北の産業革命 炭鉄港(たんてつこう)
文化庁により令和元年(2019)、【本邦国策を北海道に観よ! 〜北の産業革命「炭鉄港」〜】として、日本遺産に認定された。石炭産出地の空知、鉄のまちの室蘭、石炭積出港として発展した小樽。そして、小樽と空知の炭鉱を結ぶ鉄道ネットワーク。資源や産業、交通というテーマで三都を結び、人や知識の新たな動きを作ろうとする取組が〈炭鉄港〉である。
明治12年(1879)に開鉱した、北海道初の近代炭鉱である官営幌内炭鉱(現三笠市幌内)。