世界遺産がもっと身近になる! 縄文を実感する遺跡めぐりのすすめ

世界遺産がもっと身近になる! 縄文を実感する遺跡めぐりのすすめ

2021年7月27日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されました。近年では「縄文ブーム」が起こるなど、縄文文化があらためて注目を集めています。今回は、北海道の縄文遺跡を訪ねる前に知っておきたいポイントについて、世界遺産登録にも尽力した阿部さんにお話を聞きました。

お話をしてくれたのは、この方!

北海道環境生活部縄文世界遺産推進室・特別研究員

阿部 千春(あべ・ちはる)さん

1989年から旧・南茅部町で、2004年の合併以降は函館市で遺跡の発掘調査を行い、中空土偶の国宝指定や縄文遺跡群の世界遺産登録推進など、縄文文化の保存・普及活動に深く携わる。2011年函館市縄文文化交流センター館長に就任。2015年6月から現職。

縄文人を原始人と考えるのは大間違い!芸術的なセンスのあるおしゃれな人々。

今から約1万5千年前に始まった縄文文化は、1万年以上続いた日本独自の先史文化です。縄文人と聞くと原始的な生活をしていたように思われるかもしれませんが、縄文文化は、今の私たちと関係のない昔の話ではないんです。縄文文化がなぜ面白いのかというと、そこには私たちと同じ普通の人々の暮らしがあるからです。現代人には縄文人のDNAが12%ほど残っているので、私たちとの共通点が多いのも当然かもしれません。縄文を歴史として学ぼうと考えてしまうとちょっとつまらないですよね。実は、遺跡や出土品を見ると、縄文の人々は自然と共に生きる知恵と高い精神性、美的センスを持っていたことがわかります。


中でも、世界で初めて生まれたと言われる「土器」は、煮炊きや貯蔵を可能とし、人々の生活を安定させました。しかも、実用品である土器に神秘的な装飾を施すという感性にも驚かされます。このほかにも、その表情や形がキュートでユニークな土偶、動物の骨や角で作った精巧なネックレスやブレスレット、植物で編んだポシェットなど、縄文人たちが私たちと同じようにおしゃれを楽しんでいたこともわかっています。


いま、縄文文化に興味を持つ若い人たちが増えていますが、入口になっているのは、土器や装飾品のデザインや土偶のかわいらしさです。それでいいんですよ。そこから少しずつ、縄文文化の奥深さに触れてみていただければと思います。

農耕や牧畜に頼らない定住を可能にした、生物多様性に富んだ日本の環境に注目!

  • [足形付土板(垣ノ島遺跡)(JOMON ARCHIVES 函館市教育委員会所蔵)]

私たちの祖先はいわゆる氷河期に、マンモスなどの大型草食獣を追いかけて移動しながら生活していましたが、温暖化が進んで気候が安定すると一つの場所に留まって住むようになりました。世界ではそこから農耕や牧畜の歴史が始まったのですが、縄文人は自然を開拓して食料を生産するのではなく、採集・漁労・狩猟という、周辺の自然環境だけで定住することができました。実は、それこそが縄文文化の最大の特徴です。


生物や植物の生息域は高度や深度によって変わりますが、日本列島の狭い土地の中には山もあれば、平地もあるし、盆地もある。さらに海も大陸棚から深海まで、とても高低差があります。だからこそ、日本は世界でも例を見ないほどの生物多様性に富み、縄文時代の1万年以上にわたって自然と共生する文化が成立されていったのです。その1万年の間に人間の生活がどう変化してきたか。そのストーリーから遺跡を見てみると、さらに面白さが広がっていきます。

定住によって、命への感謝の思い、家族の愛情や集落の結びつきが深まった。

  • [ヒスイ(函館市著保内野遺跡)]

縄文文化の始まりは土器でした。それまでの移動生活から、土器が発明されたことで人々は一時的に居住するようになります。それが函館市にある垣ノ島遺跡では本格的な定住集落になっています。定住によって、集落で亡くなる人の墓も造られるようになり、家族の愛情や集落の結びつきがものすごく強くなっていきました。亡くなった子供の足型がついた土板(垣ノ島遺跡)や、ポリオなどにかかって介護されながら成人したと考えられる人骨(入江貝塚)などがその一例です。 


伊達市の北黄金貝塚をはじめとする貝塚は、縄文人のゴミ捨て場だと言われています。ですが、貝塚と呼ばれる場所の中には人の墓があり、土器や石器などの道具類を捨てた「盛土遺構」という場所もあります。それもただ捨てるのではなく、ある程度捨てたら土をかけて火を焚くという儀式をしていたことがわかっています。人間はもちろん、動物や植物や道具にも命があって、その魂をあの世に送るという意識があったのでしょう。また、同時に集落を衛生的に守るという効果もあったことでしょう。この命あるすべてを尊重し、感謝するという感覚は、縄文人の子孫である日本の人々が本質的に持っているものなのです。

戦争のない平和な時代が続く中で、海峡を越えた活発な交流が行われていた。

縄文文化のもう一つの特徴は、1万年もの間、大きな戦争がなかったということです。当時の人骨からどのようなケガをしたのかを調べていくと、この時代がとても平和だったことがわかります。そもそも、縄文人は争いのための武器を持っていないんです。農耕社会になると富や権力が生まれるので、それをめぐる争いも起きますが、縄文人たちは自然の中で豊かに暮らすことができたので、戦争をする理由がなかったのです。


また、縄文人たちは自給自足の生活だけでなく、津軽海峡を渡っての交流も活発だったことがわかっています。縄文人は、おしゃれとして、身を守る祈りをこめたアクセサリーを身につけていて、遺跡からは耳飾りや首飾り、腕輪などが出土しています。その材料の一種であるヒスイは、交易で本州から運ばれてきたもの。北海道と北東北というのは、縄文時代からずっと一つの文化圏を作ってきたエリアなのです。

縄文の暮らしから、SDGsにも繋がる持続可能な社会のあり方を考える。

  • [北黄金貝塚(”北の縄文”魅力発見フォトコンテスト入賞作品)]

今の私たちは、縄文からもっと学ぶべきではないでしょうか。縄文人たちも豊かな暮らしがしたいと思ったはずですが、すべてを採りつくしてしまったら食べていけなくなります。恵みをもたらしてくれる自然を守っていくことが、自分たちが生きていく術となる。その思想はアイヌ文化にも共通していて、どちらもまさに持続可能な社会生活を営んでいたわけです。SDGsの観点からも、縄文文化を世界に発信していくという意義は大きいと思います。

縄文文化が私たちの心に響くのは、普通の人たちの暮らしが息づいているから。

  • [入江貝塚(”北の縄文”魅力発見フォトコンテスト入賞作品)]
  • 北海道庁の展示スペース内の出土品を説明してくださっている阿部先生
  • 森町の『いかめし』そっくりの土製品!どうしてこんなものが1万年前に…!? 不思議です。

各地の遺跡では、土器や石器、勾玉などの制作体験ができます。たとえば、函館市縄文文化交流センターの定期講座では、遺跡の周辺に生えている植物を使った縄文時代の染め物体験などを実施しています。それらの体験をする前に、この特集でお話ししたような縄文文化の背景について知っておくと、ものづくりがより楽しくなりますし、出来上がったものへの愛着も湧きます。教育旅行のプログラムにもぴったりだと思います。


冒頭にもお話したように、縄文文化がなぜ面白いのかというと、そこには私たちと同じ普通の人々の暮らしがあるからです。縄文遺跡に行ったら、自分や家族がここで暮らすことをちょっと想像してみてください。はるか昔に、ここで自分たちと同じように生活していた人たちがいた……そう考えるだけで、いつもの景色がちょっと違って見えるかもしれません。北海道を訪れる際には、ぜひ縄文遺跡群めぐりを旅行の計画に組み込んでみることをおすすめします。

縄文をスイーツで味わってみよう!『函館縄文スイーツ』も見逃せない!

函館市内のカフェやケーキ屋さん、和菓子屋さんなどで、各店が趣向を凝らした「縄文スイーツ」が味わえます。


函館市が「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産登録を目指していたことから始まった、この『函館縄文スイーツ』。晴れて世界遺産に登録された今、函館の縄文スイーツはますます盛り上がりを見せています!


縄文遺跡を巡ったあとは、縄文スイーツを楽しんでみてはいかがでしょうか?

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