アイヌ文化の共有をライフワークにする

アイヌ文化の共有をライフワークにする

1869年(明治2年)明治政府は北海道に開拓使を設置し「日本の北海道」が始まりました。先住民族のアイヌは1871年(明治4年)の戸籍法の公布によって日本国籍と法的権利を得ましたが、同時にアイヌ文化喪失の序章が始まりました。伝承者の減少から伝統工芸やアイヌ語などが存亡の機に迫っていることから、アイヌ文化の復興と発展のナショナルセンターとして、アイヌ民族の歴史や文化を学び伝える施設「ウポポイ(民族共生象徴空間)」が2020年(令和2年)白老町に誕生しました。このような背景の中、音楽演奏やアイヌ文様のデザインを通じて、アイヌ文化の共有をライフワークにしている小川さんにお話を伺いました。

Profile

アイヌ伝統文化継承者、アイヌ文様デザイナー

小川基(おがわ もとい)さん

1972年(昭和47年)札幌市生まれ。ToyToy(トイトイ:アイヌ語で「土の魂」の意味)の芸名で、トンコリ(樺太アイヌ五弦琴)とムックリを演奏するアイヌルーツ音楽家として活動している。また、切り絵でデザインしたアイヌ文様のアクセサリーなどを制作するアイヌ文様切り絵作家としても知られています。

アイヌ文化を学ぶこと

小川さんは、アイヌのコミュニティで育ち、そこで多くのアイヌ文化に触れましたが、「小学校では、私はクラスで唯一のアイヌの子供でした、皆からは受け入れてもらえず、会話をしたこともありません。それは生き地獄でした。私は自分自身に問い続けました。なぜ私はアイヌなのか?なぜ私は皆と違うのか?」自分のアイデンティティを隠すことに決め、逃げるように沖縄へ移住します。


「沖縄の人々に近しいものを感じ、自分がアイヌであることを告げました。彼らは受け入れてくれて、初めて心を開いて話すことが出来るようになりました。」沖縄は、日本本土とは別の歴史を持つもう一つの場所であり、その文化と伝統のほとんどを琉球王国から引き継いでいます。「それがおそらく私に共感してもらえた理由だと思います。18歳のとき、私は初めて自分を隠さずに暮らすことが出来ました。まるで巨大な重りを肩から降ろしたかのように自由を感じました。」


「沖縄は音楽の島でもあるので、色々なミュージシャンと出会いました。地元のバンドのメンバーが私にアイヌの唄を歌ってくれないか?アイヌの唄を教えてくれないか?と頼まれました。」「私はアイヌの唄は知らないし、歌えないと答えました。そのメンバーから『唄も歌えないで何が民族だ!』と怒られた時、自分がどこから来たのかを気づかされました。琉球文化の誇りを胸に活動している人を前にして、恥ずかしい思いをしました。私は北海道に帰ってアイヌ文化を学ぶことを決心しました。」

アイヌ文様のものづくり

伝統的なアイヌの唄を学ぼうと祖父母に会いに行きました。「アイヌの唄を歌い始めたとき、私の過去の記憶が蘇ってきました。何年も塞いでいた蓋が祖父母の愛情で開きました。すべての唄は、私が子供の頃から覚えているものでした。」これはアイヌであることへの誇りを再確認しましたが、長年、小川さんを疎外してきた社会に対してはまだ深い恨みを持っていました。「私はアイヌ文化を学んでいくことにしましたが、日本社会でアイヌとして生きていく方法を見つけられずにいました。」20代の若いミュージシャンである小川さんは、安定した基盤を見つけるのに苦労しました。「殆どアル中でした。ライブで稼いだお金はその晩に使ってしまいます。」


また、伝統的なアイヌ文様の切り抜きで、アイヌ文化を深く掘り下げ始めました。「しばしばそれを一晩中かけて作りました。夜中に作業して昼に寝ることになりますが、これは日中に人々に会うことを避けるためでした。沖縄に移住してアイヌから逃れた時と同じように、今度は日本社会から逃げていました。世間や他人のせいにして、恨んでいました。」「これでは、自分も、誰も幸せにならない。」小川さんは、この荒んだ生活パターンから抜け出すために、アイヌ文様のものづくりを始めました。

居場所を見つけた

小川さんは「他の人と共有することを目標に、アイヌ文様のデザインを作り始めました。最初はペンダント、次にTシャツでした。これはアイヌのデザインの製品を日常的に使ってもらうことで、多くの人にアイヌ文化を理解してもらうことができると考えたからです。アイヌ文様をモチーフにデザインすることで、多くの人や他のデザイナーや職人とつながることができました。ようやく道が開かれたと感じました。」それはほぼ40年かかりましたが、ついに小川さんは自分の居場所とライフワークを見つけたのです。


小川さんはアイヌ文様に特化したデザインのプロダクトにおいてパイオニアとなりました。今では伝統的な文様の他に和紙や千代紙のパターンと組み合わせて、アイヌと日本の2つの文化が調和したオリジナル製品や、札幌を代表するストリートカジュアルブランドとのコラボ製品などを生み出しています。


音楽活動も再開し、教育機関等でウポポ(歌)とリムセ(踊り)に切り絵を組み合わせたのワークショップに加えて、トンコリ(サハリンの五弦ハープ)とムックリ(アイヌの口琴)のコンサートも行っています。

北海道の文化を形作る

「今では、アイヌと日本の文化が共存できると心から信じています。」「良くも悪くも、私がアイヌであるということに人生のほぼすべてを定義されてきました。」小川さんは様々な課題を克服し、それらから将来の明確なビジョンを得られました。「私は文化を超えて、そして人間レベルで人々をつなぎたいと思っています。これは世界規模で適用できる教訓です。民族性と文化の観点から『私たちが認識している違い』というものはありません。人間としての私たちは同じであると。」


小川さんは言います。「私は今、ご先祖様から唄や文様などいろいろなものをお借りしています。このお借りしているものを未来の世代に返して、引き継いでいくことが、将来の北海道の文化を形作ることに貢献するという信念に基づいています。」

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