北海道らーめん山頭火 本場の味
和食に欠かせない「出汁」には、体の隅々に染み入って心がホッとします。日本では古来より、カツオや昆布といった海の食材、椎茸や野菜など山の食材を加工して、それらを重ね合わせて香りと旨みを出す「出汁」の技術を大切にしてきました。外国の料理を取り入れるようになっても「出汁」の味わいを大切にし、なかでもそれらを土台とした「スープ」に拘ったラーメンは日本独自の料理へと進化を遂げていきました。北海道は美味しいグルメが豊富なことで知られていますが、地域ごとに特色がある北海道のラーメンはぜひ体験してもらいたい食べ物のひとつです。北海道第2の都市、旭川の有名ラーメン店を受け継いだストーリーと味への拘りについて、らーめん山頭火の畠中さんにお話を伺いました。
Profile
らーめん山頭火旭川本店店長
畠中宙(はたなか おき)さん
旭川発祥の世界中にファンがいるラーメンチェーン「らーめん山頭火」の二代目。1988年(昭和63年)に、父親の畠中仁さんが旭川市で創業し、作り上げた原点の味を守りつつ、常に新しい味にも挑戦を続けています。
旭川ラーメンの新しい風
ラーメンが好きな人なら、日本のラーメンには地域ごとのスープの味があることをご存知でしょう。特に札幌や旭川は食材に恵まれ、冷涼低湿な気候が温かな料理を一層引き立て、多くの人気店が個性を競っています。北海道の中央部に位置する旭川は、醤油ラーメンの聖地ですが、その街で塩味のラーメンを貫き、巡礼者が絶えないのが旭川発祥の「らーめん山頭火」です。
「しお」で勝負
旭川駅から歩いて3分の本店の扉を開くと、どこか懐かしいようなスープの香りが食欲をそそります。初訪問の人の多くがオーダーするのは、創業時から変わらないメニュー「しおらーめん」。一見濃厚に見える白いスープの一口目は意外にも穏やかで、舌を刺す強い味はどこにもありません。スープのもとになっている豚骨や乾物や野菜の正体がわからないほど、ひとつに溶け込んでいるのでしょう。麺をリズミカルにすすると、一緒にスープも持ち上げて口に入ってきます。箸が止まらなくなり、崩れそうで崩れないチャーシューを平らげ、スープまで一気に飲み干してしまいます。食後に喉が乾くことはなく、むしろ、すぐまたあのスープを飲みたくなってきます。丁寧に抽出した上質なスープには、多くの人を店に呼び寄せる力があります。
「らーめん山頭火」の誕生
同店の創業は1988年(昭和63年)。現在、旭川本店店長を務める畠中さんの父が創業しました。一家は同年の春に北部の町から旭川へ移住しましたが、その少し前に父がラーメンに熱中し始めた日を畠中さんは覚えていると言います。「前の年の暮れに親子で旭川に出かけて、ラーメン店が舞台の映画「たんぽぽ」を観たんです。映画館から出て、向かったのはもちろんラーメン店。しかし現実の味は映画の中のそれには敵わないものでした。翌朝、目を覚ますとストーブの上に大きな鍋が乗っていて、いい匂いをさせて煮えていました。その日から夕食はラーメンが続きましたが、むしろ嬉しかった。父のスープは美味しくて、毎日でも食べたくなるんです。」と畠中さんは振り返ります。
3ヶ月後、旭川でしおラーメン一品だけの小さな店「らーめん山頭火」が誕生。朝から深夜まで働く父を子供たちが手伝った。「豚骨を茹で、たわしでこすり、きれいになった骨を大きな寸胴に移し替えて水を張り、弱火にかける。これが僕の登校前の仕事でした。父が目指したのは、最後まで飲み干せる飽きさせない味。その虜になる人が増えていきました。現在では国内外に50店舗を越える人気店になりました。」
食材の調和
「山頭火のラーメンで最も重要なルールは、各店舗の厨房で作りたてのスープを使うことです。品質のよい豚骨を16時間煮出し、スープの種類によっては野菜や魚の出汁も加えてから濾します。できあがったスープは再び沸騰させず、95度で香りと質感を保っています。スープが冷めにくいよう厚みのある半球型の有田焼の丼を使っています。麺は、北海道産小麦を使用した低加水麺で、表面は目に見えないほど微かにざらついています。弾力とスープの絡みやすさの両方を兼ね備えていて、丼の中でラーメンをひとつにまとめあげる役割を担っています。」
ラーメン職人の道
畠中さんは、高校卒業後にメルボルンのレストランで働いた後、父のもとでラーメン職人の道へ進みます。彼を呼び戻したのは父の味だと言います。「2年ぶりに山頭火のラーメンを食べた時、やはりこの味から離れられないと悟りました」。畠中さんのモットーは、常にアップデートを怠らないことで、それが今日のお客様の笑顔を作ることだと言います。旭川本店の厨房では新メニューの開発が行なわれ、それは時間をかけて全店へ伝わっていきます。らーめん山頭火の最新の味を体験したいなら本店に行くことをお勧めします。「次のアイデアはすでにいくつも頭の中にある」という二代目店主の丁寧な仕事は、旭川でこそ味わいたい。旭川の寒さに凝り固まった身体が、こだわりのスープでほぐれることでしょう。
海外進出
かつて日本食といえば、寿司や天ぷらを連想する外国人が多かったですが、今やラーメンと答える人も少なくないです。2000年代には日本から海外進出するラーメン専門店が増え、世界各地でおいしいラーメンを食することができるようになりました。なかでもいち早く海外に目を向け、北海道のラーメン文化を世界に広めるのに一役買ったのが、旭川発祥のらーめん山頭火です。
先代が北海道・旭川で創業した当時、わずか9席だったらーめん山頭火は、スープに拘った「しおらーめん」で国内に多くのファンを獲得しました。多店化の視点から先代がアブ・アウト社を設立したのは1999年(平成11年)のことです。先代と共にブランドを成長させてきた菊田伸一社長が、海外進出の秘話を語ってくれました。
現地の味に合わせない
菊田さんは、海外進出のアイデアはアメリカで生まれたと言います。豚の頬肉は日本では焼肉で好まれる部位ですが、当時のアメリカでは需要がなく安価に取引されていました。これを「トロ肉」と名付けてメニュー化しようと考えた菊田さんは、先代とともに丼や器具と材料一式をスーツケースに詰め込んで、アメリカ・ネブラスカ州へ向かいました。契約先の食肉加工場でラーメンを振る舞うためにです。ラーメンはマネジャーだけでなく、肉をカットするメキシコ系移民の人たちにも振る舞いました。「彼らにしてみれば、作業員の分までラーメンを用意しているのは不思議に感じたでしょう。でも当時の私たちは、実際に作業する人たちに仕事の重要性を理解してもらうには実際にラーメンを食べてもらうのが一番だと信じていたのです。」と菊田さん。他の部位とは異なる技術が必要な頬肉が規格通りに加工できるようになるまで、1年を要しました。こうして豚肉の仕入れに成功した同社はその後、海外に本物の味を伝えようと、海外出店の方針を決めたのです。
らーめん山頭火の根本
もっとも、最初の海外出店のチャレンジは失敗に終わっています。香港の企業とフランチャイズ契約を結んだものの、本物志向の味には手間がかかり、意見が一致しなかったと言います。その教訓から、以後の海外出店は信頼できる社員を現地に派遣して軌道に乗せ、彼らと現地パートナーが一緒に運営するやり方で進めていきました。菊田さんの子息もその一人で、ハワイの店舗を任されています。味を頑なに守り、忠実に再現しようとするやり方が、北海道ラーメンというブランドへの信頼を強固にしていると言えそうです。
「山頭火が掲げる原則は、すべての店舗の厨房で手づくりすることです。中でも一番重要なのは、現地でスープを作ることです。チャーシューを注文ごとにスライスするという点も、環境上の制約がない限りどの国でも守られています。」しかし、品質を保つことと、各店でスープを作ることは矛盾しないのでしょうか。それに、チェーン店のメリットである合理化と相反します。「それを可能にするのが、我々の仕事です。」と菊田さん。新しい国に店を開くときには、原料調達や水の分析という、地道で時間のかかる作業から始めると言います。現在海外の店舗は、山頭火の味を再現できるスタッフ約20人が運営を指導・担当しているとのことです。
味への強い自負
旭川本店で食事を終えた外国人観光客は「アメリカのサンノゼ店によく行っていて、本店に来てみたかったんです。本店は麺が特においしいですね」と話してくれました。アメリカでいくつかの山頭火の店に行ったことがあるというこの女性は、スープは本店に負けないくらいおいしいですよと、少し誇らしげだったのが印象的です。
一筋縄ではいかない海外出店の原動力となっているのは、味への強い自負です。「一度食べれば、きっと北海道に行ってみたくなるはず」と、菊田社長は熱を込めて語ってくれました。「日本でも世界でも、誰かが私たちのラーメンを食べて心が安らいでくれたら嬉しい。そういう存在でありたい。」と話してくれました。
札幌で楽しむ
創業者の畠中さんが開発した限定の「しょうゆらーめん」は魚介醤油スープが美味。現在は旭川本店と札幌北一条チカホ店で、1日10食限定で提供中。
札幌市内で観光にも便利な場所にある札幌北一条チカホ店で頼める3種のつまみセット。生ビールと小さめサイズのラーメンがついた17時からの人気メニュー。創業当時に出していた夜の居酒屋風メニューを思わせる。