あたりまえの
家庭料理から
アイヌ文化を
味わってほしい

北の屋台 Asian・アイヌ居酒屋ポンチセ

豊川純子さん

大好きで、いつかやってみたいと思っていた屋台。

「北の屋台」には以前から客として来ていて、この雰囲気が大好きでした。4年前の夏に屋台の入れ替えのための新規募集があり、とりあえず説明会に行ったんです。家庭料理しか作ったことがなかったし、下の娘もまだ小学生だったので見送ろうと考えていたところ、その2週間後に乳がんを告知されて。幸い、早期発見でした。手術をして退院する時に乗っていた車の中で、屋台の事務局から、研修生枠としてやってみないかという電話がありました。

不安はありましたが、今やらないと後悔すると思って、抗がん剤治療を続けながらオープン準備に取りかかりました。最後の抗がん剤治療が1月末くらいで、屋台のオープンが4月20日。髪の毛が抜けたままで、最初のうちはカツラや帽子をかぶっていました。店名を考えてくれたのは、今はアイヌシンガーとして活動している妹です。いろいろな案の中で、響きがかわいい「ポンチセ」を選びました。アイヌ語で「小さな家」という意味です。

「ポンチセ」と名づけたものの、当初はアイヌ料理を出すつもりはありませんでした。別れた夫の故郷のインドネシア料理と、父の出身の東北地方の郷土料理をやろうと思っていたので、アイヌ文化や料理についての知識もほとんどない状態でした。アイヌ文化に詳しい方にあれこれ尋ねられても「?」という感じで(笑)。その様子を見かねたお客様が、アイヌ料理の専門書を送ってくださって。お店に置いて新しいメニューの参考にしています。

名物の「ポネオハウ」をメニューにするまでの葛藤。

看板メニューの「ポネオハウ」は、大きな骨がそのままお椀の中に入っているワイルドな一品。肉のついた豚骨をじっくり煮込み、野菜を加えたオハウ(汁物)で、祖母から母に伝えられた料理です。十勝に食肉加工工場が出来て、肉のついた骨を安く分けてもらってアイヌが工夫して食べたのがはじまりだと聞いているので、ある意味で十勝らしい料理だと思います。子どもの頃からよく母親が作ってくれた、私にとっておふくろの味です。

あたりまえに食卓に出てくるので、それがアイヌ料理だとは知りませんでした。ある日気がつくんです、これが友達の家では出ない料理だということに。骨を持ってかぶりつく姿を友達に見られたことがあって、その驚いた顔は今でも忘れられません。これは野蛮な食べ物なんだと思って、しばらく食べられなくなりました。美味しそうに食べている家族を白い目で見ている時期があって、母親にもひどいことを言ってしまった記憶があります。

そのトラウマがあったので、メニューとして出す時もお椀に骨を入れるかどうか迷いました。お客様に気持ち悪いと思われたらどうしよう……と思ってしまって。でも、スペアリブみたいなものだと考えたら気が楽になって、思い切って骨ごと出すことに。それが吉と出ました。やっぱり珍しいのでいろんな取材も来るし、インバウンドのお客様にもとても好評で。何より、骨についている肉が美味しいんです。アイヌ料理は世界に通じると実感しましたね。

ずっと隠していたアイヌの自分をオープンにできるように。

屋台をやるまでは、ほとんどアイヌに関わったことがありませんでした。むしろ隠していました。いじめられたことはありませんが、子どもの頃にからかわれたり陰口を言われたりした経験もあって、なるべくアイヌの話題には触れないようにしてきました。アイヌという言葉を聞いただけでもドキッとしたり、差別されるんじゃないかという恐怖をずっと抱えながら生きてきましたが、いつかは克服しなければいけないとも思っていました。

26歳のときに出会ったアイヌの女の子がいて、その子とは何でもストレートに話し合うことができたんです。それから、自分がアイヌだということを少しずつカミングアウトできるようになっていきました。それでも、「この人なら大丈夫かな」と考えながら、人を選んで言っていくという格好でしたけど。「意外と大丈夫だった」とか「やっぱり言わないほうが良かったかな」とか、経験を積んでいくうちになんとなく免疫がついてきたという感じですね。

一方で、どうして人に認めてもらわなければならないのか、という思いもどんどん強くなりました。アイヌだということは悪いことでも何でもないし、それが本当の私なのに。「この人なら受け入れてくれそう」という、その考えが間違ってるんじゃないかと。屋台で「ポンチセ」という看板を出せば、アイヌだということが明らかになります。わざわざ自分から言わなくても、興味があれば向こうから来てもらえるという今の環境は、とても心地いいですね。

帯広のアイヌ文化がカジュアルに楽しめる場所を。

開店4年目を迎えたポンチセは、おかげさまでとても楽しい空間になりました。アイヌの活動をしている人たちとも、この屋台を通じて知り合うことができました。ほかにも、登山好きのお客さんが集まって登山部を結成して、ポンチセのロゴマークをデザインした登山部のTシャツを作ろうということになったり。お店のロゴマークは、私の曾祖父の着物の文様をベースにしていて、残っていた写真から妹が切り絵のデザインに起こしてくれたものです。

アイヌの人たちが盛り上がって、店の隅で踊ることもよくありましたし、コロナの影響で中止する前は狭い屋台でアイヌの歌のライブもやっていました。イベントでアイヌの人を呼びたい、パーティーで古式舞踊を披露してほしい、でもどこに相談していいかわからなくて、とりあえずポンチセに来るという方もいらっしゃいます。帯広のアイヌの情報がここに集まってくるようになったので、そういうニーズにもお応えできるようになってきました。

この屋台が好きなので長く続けていくのが目標ですが、もうひとつ夢があるんですよ。アイヌ舞踊が披露できる小さな舞台があって、みんながお酒を飲みながら気軽に見られるようなお店を、いつかやってみたいと思っています。青森にある、津軽三味線の生演奏が楽しめる居酒屋のような感じですね。帯広のアイヌ舞踊はとても素晴らしいのに、地元で披露する場が少ないことがもったいなくて。そんな場所が作れたら、ちょっと素敵だと思いませんか?

(2020年10月)