自分の気持ちを
大切にしながら
アイヌ文化と
向き合っています

ゲストハウス二風谷ヤント

萱野 りえさん

一度は離れたアイヌ文化の魅力にあらためて気づいて。

阿寒湖のアイヌコタンで生まれて、アイヌの唄や踊りに囲まれながら育ちました。物心ついたときには、もう踊っていましたね。夏は観光シーズンなので忙しいんですが、冬の間は週に一度、踊りの教室に通っていました。アイヌ古式舞踊のイベントへの出演で、東京などに行けることもとても楽しかったですね。だけど小・中学生になると、周りからアイヌであることをからかわれたりして、嫌になってしまって。アイヌ文化とは少し距離を置くようになりました。

高校時代に、アイヌ協会の交流会でハワイに行った時、札幌のアイヌの女の子と友達になって、彼女と同じ札幌の専門学校に進学しました。その子が工芸などのアイヌ文化をみんなの前で紹介したことがあって、それが私の大きな転機になりました。アイヌであることをオープンにする友達の姿と、アイヌの文化に興味津々のクラスメートの様子に衝撃を受けたんです。アイヌ文化には、こんなに人を惹きつける魅力があるのかと思いました。

もう一度しっかりアイヌ文化に触れてみたい、そう考えるようになった頃、樺太アイヌの伝統弦楽器「トンコリ」の奏者、OKIさんに出会いました。その演奏に感動して、OKIさんがプロデュースするアイヌの女性ヴォーカルグループ「MAREWREW(マレウレウ)」に加入することになりました。親にその話をしたらとても喜んでくれて。私がはじめて自分からアイヌに関わることをやりたいと言ったことが嬉しかったのかもしれません。

大学での学びを機に世界がどんどん広がっていった。

専門学校を卒業して、アルバイトをしながらMAREWREWで活動をした後、大学に進学しました。アイヌ民族を対象とした、札幌大学の「ウレシパ奨学生制度」の第1期生です。学びはじめると、自分がアイヌ文化について全然知らなかったことをあらためて実感して、どんどん興味が湧いてきました。アイヌの学生と和人の学生がアイヌ文化を共に学ぶ「ウレシパクラブ」での活動も楽しかったし、勉強になりました。中でも思い出深いのは、「ウレシパ・フェスタ」というイベントを開催したことです。

4年生のときのゲストに、音楽家の坂本龍一さんをお招きしました。きっかけは、アイヌの文化伝承者・著述家だった、祖父の山本多助でした。インターネットの情報で、坂本さんが祖父の著書の愛読者であることを知り、連絡を取ってみたらなんと参加していただけることに。私が小さいときに亡くなった祖父のことは記憶になくて、周りからは有名な人だとは聞かされていましたが、こんな形でその偉大さを実感するとは思ってもみませんでした。

大学で学ぶうちに、もっとアイヌ文化について深く知りたいと思うようになり、卒業後に公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(現:公益財団法人アイヌ民族文化財団)の「伝承者育成事業」第3期生として、白老町で3年間を過ごしました。衣食住や工芸、儀礼、言語など、アイヌ文化全般について、講義や実習を通してしっかりと学びました。当時のアイヌ民族博物館のスタッフさんにもかわいがっていただいて、そのまま白老で暮らそうと思っていたのですが、結婚を機に平取町に移り住むことになりました。

ゲストハウスを経営しながらマイペースで活動中。

アイヌ語で宿を意味する「yanto(ヤント)」という名前のゲストハウスをオープンして、3年目になります。場所は、夫の祖父にあたる萱野茂の「萱野茂二風谷アイヌ資料館」のすぐ近くです。お客様は、二風谷のアイヌ文化に深い関心をお持ちの方が多いですね。ゲストハウスをやりたいと言い出したのは、若い頃にバックパッカーだった夫なのですが、コロナウイルスの影響で宿泊者が減ってしまって。やむを得ず、夫はほかの仕事に出ることになりました。

まだ小さい娘を、平日は保育園、土日は夫の実家で預かってもらいながら、ゲストハウスを切り盛りしています。仕事に追われてとにかく忙しいので、お客さまとゆっくりお話しすることもなかなかできないのが残念です。MAREWREWにも昨年から復帰して、無理のない範囲で活動させてもらっています。ニューアルバムの録音も二風谷で行いましたが、その頃は妊娠中だったのでいろいろな意味で大変でした(笑)。ぜひ、たくさんの方にお聴きいただきたいです。

アメリカの先住民「セミノール族」を訪ねるショートムービーに出演したこともあって、取材されることも多くなりました。でも、いつも同じようなことを聞かれて、同じようなニュースや記事になることには違和感があります。私は若いアイヌの代表ではないし、一人でできることにも限界があります。いまだに葛藤はありますが、それはアイヌに限らず誰もが抱えていることですし、向き合いながら生きていくしかないと思っています。

夢中になれる口承文芸はきっと私のライフワークに。

いま夢中になっているのは口承文芸です。仕事と家事と子育ての合間を縫って勉強して、毎年開催されているアイヌ語の弁論大会「イタカンロー」にも出場しています。講師も生徒も平取の人が参加する、アイヌ民族文化財団の助成事業「語り部育成事業」の助手として人に教える立場になったので、発表の部への出場権はありませんが、口演の部には出られるんです。ひとつの話をマスターするのに、だいたい2〜3ヶ月ほどかかります。新しい話を覚えるモチベーションとして、出場という目的があることは大事ですね。

もちろん踊りも好きですし、ウコウク(輪唱)も楽しいのですが、どちらも人数が必要なんです。その点、口承文芸は一人でもできるのが魅力。無心になって没頭できるのも楽しいですね。今は、語り部育成事業5期生の4人に教えています。まずはアイヌ語を分解して、内容を理解してもらうところから始めるのですが、節をつけるユカㇻに比べると、淡々と語るウエペケレは覚えにくいんです。語尾が上がる独特の抑揚も、慣れないと難しいですし。

二風谷コタンでは、ポロチセ(二風谷コタン内のアイヌ伝統家屋)を舞台に「ユカㇻと語りべ」という催しを定期的に開催していて、私も語り部として参加しています。お客さまに間近で聞いていただくことは、私たちにとってもいい勉強になります。娘には、私が口承文芸に取り組んでいる姿は見せておきたいですね。そうやって自然とアイヌ文化に触れて、興味があればやってみればいい。経験上、自分からやってみようという気持ちが一番大事だと思いますから。

(2020年9月)