アイヌ文化と
現代アートの
融合の先に。

北の工房 つとむ
店主

貝澤 徹さん

土産物の木彫りから写実木彫、そしてアイヌ文様へ。

白老の高校を卒業して、父の後を継いで木彫をやろうと思って平取に戻りました。最初は店先で観光土産を制作していました。お客さんの「こんなのが欲しい」というリクエストに応えながら、好きなものを彫るのは楽しかったですね。三人兄弟の長男で、手先は弟たちの方がずっと器用でしたが、地道にコツコツとやっていました。

最初の転機となったのは、北海道を代表する木彫家の藤戸竹喜さんに出会ったことでした。祖母のもとを訪れた藤戸さんに、小さな熊の写実彫刻をいただいたのですが、観光土産の熊の木彫とは全然違っていて衝撃を受けました。こんな木彫もあるんだと思い、写実的な動物を彫り始めたのが20歳頃のことです。

それから30代半ばまでは動物などを彫っていましたが、曽祖父の貝澤ウトレントクのイタ(お盆)を複製したことがきっかけでアイヌ文様を彫り始めました。二風谷アイヌ文化博物館がオープンした際のシンポジウムで、家に残っていた曽祖父のイタを出品したときに、先輩がそのイタを真剣に見ている表情を見て、自分もアイヌ文様を彫らなくちゃいけない、そう思ったんです。

単なるアートではなく、アイヌの伝統的技法を。

その後、アイヌの伝統文化と現代アートを融合させた作品を作り始めました。「アイデンティティ」は、今のアイヌ民族を表現した作品です。上着のファスナーの隙間からアイヌ文様が見えています。ファスナーが途中なのは、外見はみんなと同じでも、内面にはアイヌの精神を秘めているという表現です。現代のアイヌがどう生きるかを問うメッセージ性が評価され、シリーズで製作しました。私の作品には必ずアイヌの伝統的技法を取り入れています。単なるアートでは意味がありませんから。

代表作のひとつ「UKOUKU(ウコウク)/輪唱」を製作するきっかけとなったのは、昔のアイヌ民族の入れ墨をしたお婆さん。アイヌ文化を継承する中で、途絶えてしまった入れ墨の風習を立体物で残したいと思いました。

女性たちが「ウポポ」という座り歌を歌うシーンに、老婆から少女まで世代の異なる5つの手を入れて、世代交代しながら文化が受け継がれていくという思いをこめて創り上げたものです。

札幌市営地下鉄南北線さっぽろ駅コンコースにある、アイヌ文化を発信する空間「ミナパ」のシンボルオブジェ「IWOR-UN-PASE-KAMUY(イウォルン パセ カムイ)」もまさに労作でした。素材は、沙流川下流の水田から出土した樹齢500 年ほどの埋もれ木で、同じ材料は二つとない上に、彫っていくうちに木が割れたりして。インスピレーションが湧いたそのままの勢いで作っているので、どんな作品でも同じものは製作できません。

人生の節目に、恩人たちとの出会いがあった。

おかげさまで、店にはいろんな方が訪ねてきてくれます。最近特に多いのは、「ゴールデンカムイ」のファンの方々です。アイヌ文化の専門書を読む人は限られますが、マンガやアニメはものすごい数の人の目に触れるし、海外にも広がっています。この作品の影響力の大きさには本当に驚かされました。アイヌの料理や狩猟などの風習や文化がリアルに表現されていて、とても勉強して描いていると感心することしきりです。

2016年に作者の野田サトル先生が来店して、資料用のマキリ(小刀)を注文されました。私が作ったマキリは、キロランケという登場人物のマキリとして使われました。そのとき、野田先生がツイッターで私のことを紹介してくれたおかげで、マキリの注文が急増したんです。

主人公のマキリが欲しいとか、自由にデザインしてほしいとか。若い女性も興味を持ってくれて、自分でメノコマキリを注文していきますね。本来は、男性からプロポーズされるときに贈られるものなのですが(笑)。

今思い返してみると、結局は人に恵まれてここまで来たのだと実感します。人生の節目にいい出会いがありました。藤戸竹喜さんにはじまって、曽祖父のイタの真価に気づかせてくれた二風谷アイヌ文化博物館学芸員の吉原 秀喜さん、そして私の作品を高く評価してくださった専門家の方々、もちろん野田先生も。イギリスなどの海外で、先住民族の文化に対する理解がある人々に出会ったことも活動の場を広げるきっかけになりました。

各自の得意分野で、アイヌ文化を高めていければ。

2013年3月、平取町のアイヌ民芸品「二風谷イタ」と「二風谷アットゥシ」が北海道で初めて伝統的工芸品の指定を受けました。経済産業省の基準では100年以上の歴史を持つ技術・技法であることが求められますが、アイヌの工芸品は製作者が不明なものが多く、なかなか指定されませんでした。しかし、曾祖父の貝澤ウトレントクが100年以上前に製作していたことが証明できて、伝統的工芸品に指定されました。

明治時代に名工と称された曾祖父には及びませんが、ありがたいことに世界各地で作品が展示されるようになりました。それに刺激されて、私と同じような作品を手掛ける若手が出てきてくれないかと願っているところです。二風谷はイタが主流なので、もともと立体彫をする人が少ないんです。アイヌ文化と現代アートを融合させた木彫には、まだまだ可能性があると思いますから。

ウポポイのオープンで、アイヌ文化についての認知度が高まるのは非常にいいことだと思います。でも、すべてがそこに集約されるのではなく、地域性も大事にしていきたいものです。同じアイヌでも、地域によって言葉も違えば風習も違う。たとえば、平取のアイヌは手仕事が得意です。その違いを活かしながらうまく連携が取れれば、新たな展開も見えてくるのではないでしょうか。

ユカラが得意なアイヌ、刺繍が得意なアイヌ、木彫りが得意なアイヌ、それぞれが得意分野を極めて、アイヌ文化を高めていけたらと思います。その中で、私は職人として、木彫をもっと極めていきたいですね。少しでもいいものを、後世に残るものを作ることができれば本望です。

(2019年8月)